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科学技術と宗教観 [脳、心、リハビリ]

 宇宙の創造は何かわからない大きな力(=神)が働いたものであり、DNAの設計もそのような力によってなされたとする考え(Intelligent Design)があり、アメリカ合衆国で裁判にもなっています(Dover decision)。私のような日本人には理解しにくいのですが、それのようなものを含んで渾然一体となっているのがアメリカ合衆国なのでしょう。(http://www.discovery.org/)
 上記と別の意味ですが、「何か、大きな力が働いているのでは・・・」と多少でも工学で飯を食った人間が考えるのは論理的ではないのですが、その考えを許容しています。これは工学的なことと無縁の10歳にもならない頃から、つらいことがあると「神が与えた試練だから」と受容する術を身に付けたことと無関係ではありません。地震などの天災にあい、それを乗越える時に持つ気持ちと同じものかもしれません。また、機能要求だけだされ、機構について触れられていない機械を短期間で納入しなければならない時、技術開発を含む設計に苦しみ、「もう作図を開始しないと納期に間に合わない」という段階で何とか機構の方針がまとまることが度々ありました。この時、「悪運がつよいから」としていましたが、大きな力の存在をどこかで信じていなかったらつぶれていて、このようなblogを書くこともなかったと思います。
 人間は心のバランスをとるため、論理的でない考えをしたり、行動をとることがあります。心にぽっかり穴が空いたように感じた時、キリスト教に関する本(聖書ではない)を読んだり、教会へ行ったことがありました。しかし、結局、「何かの宗教に属することは自分らしくない」と、この時、改めて無宗教であることを決めました。(法事でお経を一緒に唱えることには全く抵抗はありませんが・・・。)
 科学技術について書き物をする場合、それを見る目は宗教観などに影響されない客観性を持ちつづけたいと思います。


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