1985年8月12日午後6時56分、日航ジャンボ機が墜落し、多くの方が死傷されました(リンク先はNHK放送史)。その時から36年が経ちましたが、事故の直後、墜落地点がどこかわからないことが報じられていた等、当時のことが思い出されます(「御巣鷹山に墜落」と報道されましたが、墜落した場所は御巣鷹山から南南東約1.7キロの場所にある「高天原山に属する尾根」)。
 昨年8月のblogで飯塚 訓 (著)「墜落現場 遺された人たち」(2005年、講談社+α文庫)について触れました。
 「520人もの死者を出した日航機墜落事故を、朝日新聞はどう取材し、報道したのか。そのプロセスを克明に綴る。」と内容紹介される 朝日新聞社会部(編)「日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時」(1990年、朝日新聞社)はBOOKOFF SUPER BAZAAR イトーヨーカドー流山店で入手しました。
 「1985年8月12日、群馬県御巣鷹山に日航機123便が墜落。なんの覚悟も準備もできないまま、一瞬にして520人の生命が奪われた。本書は、当時、遺体の身元確認の責任者として、最前線で捜査にあたった著者が、全遺体の身元が確認されるまでの127日間を、渾身の力で書きつくした、悲しみ、怒り、そして汗と涙にあふれた記録。生と死のはかり知れない重さが胸に迫る!」と内容紹介される 飯塚訓(著)「墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 」(2001年、講談社)もBOOKOFF SUPER BAZAAR イトーヨーカドー流山店で入手しました。