12月21日、ニコライ堂へ行き、12月22日が聖金口イオアン聖体礼儀であることを知ったのを先のblogで書きました。気になり、また、ニコライ堂へ行きました。そして大聖堂の外で、鳴り始めた鐘の音を聴いているうちに、悲しいことを思い出した訳でもないのに、目頭が熱くなってしまいました。
 『ニコライの鐘』(1993年12月)という鐘の音の入ったCDを以前、ニコライ堂で入手し、聴きましたが、感情が揺さぶられることはありませんでした。私のスピーカーを紹介したblogで『ハイパーソニック・エフェクト* について触れましたが、「鐘の音を近くで聴き、CDでは録音されない音のためにハイパーソニック・エフェクトが生じたのかな・・」と想像しています(正確にはニコライ堂の鐘の音の周波数分析が必要ですが・・)。
 司祭の方が大聖堂に入り、その後に大聖堂を入るのに姿勢を低くして手で信仰のサインを示して入る方、また、何かの理由で聖体礼儀に参加されずニコライ堂の門のところで信仰のサインを示して立ち去る方の姿を見、「やはり信仰を持たない人間は・・」でニコライ堂を後にしました。そして久し振りに小川町辺りから神保町まで散策しました。