先のblog国立近現代建築資料館で開催の平成30年度収蔵品展「建築からまちへ 1945-1970 戦後の都市へのまなざし」(6月9日~9月9日)へ「期間内に来て見たいなあ!」になったことを書きました。そして平日は湯島地方合同庁舎正門側から入館できるのですが、土日・祝日は閉門で、日曜の9月2日にいったため、旧岩崎邸庭園から入館しました(入園料(一般)400円)。展示室では12名の若い人たちが展示を見入っていました(「建築系の学生さんかな」とつい考えてしまいました)。
 「1945-1970年という戦後復興・高度経済成長の時代を広い意味で〈戦後〉として捉えて企画いたしました」とされる展示会、1956年の経済白書の「日本経済の成長と近代化」の結びで「もはや戦後ではない」と記述され、これが流行語になったとのことですが、それと14年の隔たりがあります。早乙女 勝元 (著)『東京大空襲―昭和20年3月10日の記録』(岩波書店)の発行が1971年1月28日になったのは米国との関係で制約があったためと記憶しています。沖縄返還がされたのが1972年で「戦後は1970年代まで続いていた」というのが私的に納得できるところです。
 新宿副都心が開発される淀橋浄水場(1965年廃止)の写真を見ながら、それから50年の変化のすさまじさに考えさせられました。また、以前のblogにも書きましたが、永島慎二氏の1960年代の若者の姿を描いた『フーテン』を読んで「あこがれ」のような気持ちが生じたことを思い出しました。