靖国神社の遊就館へ「展示の取材へ」という気持ちで行き、人が人として扱われていない国であったことを示すロケット特攻機「桜花」、艦上爆撃機「彗星」(戦争末期、特攻に使用)、人間魚雷「回天」の展示を見て胸が悪くなったことを以前のblogで書きました。
 昨年より親族の家にしばしばいくことになったことを書いていますが、遺品の中に彼の父親の予科練時代のアルバムがありました(アルバムから乙飛19期 * であることがわかりました)。「このままでは・・」と考え、そのアルバムを常磐自動車道の桜土浦ICから国道125号バイパスを利用して約15分の地にある予科練平和祈念館へ寄贈してきました。そして彼の父親が予科練を終えた当時の日本の状況について聞くことができました。
 予科練平和記念館は2010年開館という新しい施設で、それまでは現在も見学に対応している、予科練平和祈念館に隣接の陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校の敷地内の「予科練の碑」を配した庭園「雄翔園」(1966年開園)と予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示する雄翔館(1968年開館)が予科練関係者の訪れる地となっていたようです。
 アルバムの寄贈の手続をした後、予科練平和祈念館内を見学し、予科練に志願した当時の若い人たちの姿を想像しました。そして1945年6月10日に阿見大空襲があったことを知りました。屋外には零式艦上戦闘機(零戦)ニ一型実物大模型(2015年10月4日に完成披露)と回天一型実物大模型が展示されていました。