『
鉄腕アトム』の誕生はストーリー上、2003年4月7日とされます。そしてこの鉄腕アトムの誕生をテーマ展示に加えた"
ROBODEX 2003"が2003年4月3~6日にかけてパシフィコ横浜で開催されました(鉄腕アトムの写真はこのROBODEX 2003でのもの)。あれから11年が経ってしまいました。
ロボット研究者へのインタービューで「なぜ、この研究の道に入ったのですか?」というのがよくあり、「『鉄腕アトム』を読んで」が常套句のように使われています。その答えを期待するインタビュアーへのリップサービスかもしれませんが、つい「そんな単純な理由ではないでしょう?」と突っ込みを入れたくなります (^_^;
私がロボットに関わりを持つようになったのは、あるプロジェクトに加わったら「ロボットもついてきた」で、ロボットに対しては「自動制御で動く機械の一種」という醒めた見方もしています。
子供時代(「今も精神的にはあまり成長していないのでは?」と良心様の声)、『鉄腕アトム』は童話などと同様、純粋に「お話」として楽しんでいましたが、ふと、「『鉄腕アトム』から私は何を学んだのだろう」という問いが浮かんできました。そして鉄腕アトムが人のもつ心について悩む話があったことを思い出しました。小学生の時、クラスから浮いた存在で一人でいることが多く、家も心の安らげる場でなかったため、精神的に辛い時期がありました。『鉄腕アトム』からだったかは定かでないのですが、「心には『理性』と『感情』がある」というのを知り、「感情があるから辛いんだ。感情がなければ・・」と感情を抑えることに取り組みました。『鉄腕アトム』のその話から逆説的に考えたのかもしれません。
手塚治虫の作品、一部のものを除いて「人間とは何か」といった哲学的な問いかけをしているように思われます。そして私が『鉄腕アトム』から学んだのは
「なぜか?」と考えることなのかもしれません。
【追記】 大切なことを書き忘れていました。鉄腕アトムは人類のために太陽へ帰ることのできない旅にむかいました。それを見た後、しばらく考えていたのが、「誰かのために自分の命を捨てられるか?」ということでした。「誰かが1人だったら・・」、「誰かが大勢の人だったら・・」、「誰かの中に私が好ましく思っていない人が入っていたら・・」。その時は単純に「たくさんの人のためだったら私の命を引き換えにしても・・」になりました。
手塚治虫の作品にはしばしば「自己犠牲」に関する場面が登場します。自己犠牲とは考えていませんが、私がボランティア活動をしているのも手塚治虫の作品による影響かもしれません。
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鉄腕アトム:マンガwiki:TezukaOsamu.net(JP) 手塚治虫 公式サイト
http://tezukaosamu.net/jp/manga/291.htmlNews:アトム誕生なるか「ROBODEX 2003」
http://www.itmedia.co.jp/news/0212/06/njbt_08.htmlROBODEX2003プレスプレビューレポート
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/0403/robodex.htm