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岡田武松氏と気象庁 [本と映像・音楽の話]

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 先のblogの東京消防庁PRセンターの隣に気象庁本庁があり、その1階に気象科学館があります。そしてこの大手町の「気象庁庁舎」は2020年に気象庁虎ノ門庁舎(仮称)へ移転します(「気象庁前」という交差点名はどのような名称に変わるのでしょうか)。
 6月5日、BSプレミアムで「昭和の選択▽戦争の時代 天気予報は誰のものか?日本気象学の父・岡田武松の葛藤」が再放送されました(上小30山のブログで番組内容が紹介されています)。
 愛知県の幸田町郷土資料館へいったことを書いた昨年のblogで、1944年12月7日の紀伊半島沖を震源とするM7.9の東南海地震、1945年1月13日の三河地震について被害の大きさが戦時中として当局によって伏せられたため、これらの地震が知られていない状況があることを書きました。2017年5月31日のNHKニュース「おはよう日本」の中で昭和16年12月8日のラジオの番組表の放送予定の天気予報の欄が消され、太平洋戦争の開始に伴う報道管制が始まり、国民には戦時下、天気予報が伝えられず、昭和17年8月の「周防灘台風」でも大きな被害が発生したことが紹介されました(当然、その被害状況も報道管制の対象)。
 4年前、科学技術週間の一般公開を利用して気象庁気象研究所へいったことをblogで書きました(一応、メカトロの分野で仕事をしていたことから「メカトロの仕事をする者は単に要求仕様が出されるのを待つのではなく、要求仕様の背景にあるものをより深く理解して対応できるように知識の引き出しを増やす努力が必要」が習い性となっていることによります)。気象大学校の前身の中央気象台附属「測候技術官養成所」の設置にも尽力された岡田武松氏を紹介する上記の番組に「科学を糧として生きる人間はどう行動するべきか」と考えさせられました。

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